私立大学哲学科を卒業し、金属専門商社で11年間(うち5年間は米国駐在)レアメタルとその国際取引のいろはを学び、同時に大組織の実態についても体感した。その後欧州屈指の金属会社の日本法人でレアメタルについての見識と経験を深め、2003年に当社を設立した。
その時点では、やるからには儲けようとか大きくしよう、というような極めて物欲的な発想のみに囚われていたことを今は認める。しかし、その後少しずつ増える社員と共に汗と涙とを共有していくにつれ、人生の多くの時間を捧げる労働活動が単なる物質的欲求の追求の場で終わってはならないと強く感じるようになった。厳しいノルマを達成するためにはどうすればいいか、実力不足の自分がチームワークにおいて最大限の信頼を得るためにはどうしたらいいか、資金繰りにあえぐ取引先オーナーを正しく導きその信頼を得るにはどうすればいいか、というような一営業としての悩みというようなものから、自分はなぜこんなに身を粉にして働くのか、何をもって成功と呼べるのか、成功の先には何が待っているのか、というような自己の哲学的探求、さらには、自らの社会的存在価値は何か、成功した企業は社会的に何をすべきか、というような社会学的探究と言えるようなことまでもが本気でビジネスと対坐する者にはまとわりついてくる。このような場を自己探求の場、求道の場、社会的位置を確認する場と呼ばず何と呼ぼうか。今や当社はこれらの人生における大きな課題を日々社員とともに試行錯誤する場となっている。
一方で、営利企業である以上その試行錯誤は単なるロマンチシズムに終わっては決してならない。日々の営利活動の成果は、理論と実践の体現である。成果がおもわしくないのは、単に理論と実践がお粗末な水準のものに滞留しているか(この場合はお話にならないが)、或いは「試行錯誤」がロマンチシズムに偏り過ぎリアリズムから乖離してしまっているかのいずれかである。。つまり少なくとも後者である場合、営利活動で生まれる成果は、我々の「試行錯誤」がいかにロマンチシズムとリアリズムとのバランスを取っているかの証なのである。このことを肝に銘じて、我々は日々の「試行錯誤」を突き詰めていかねばならない。
ところで我々の「試行錯誤」の場である金属業界は、気の遠くなる程幅が広く、奥行きが深い世界である。当社のような小規模企業が何をあがいてもどうしようもない世界に一見思われるが、逆にそうであるがために、その気さえあれば我々であってさえも如何様にも自らを展開し、変革していける場なのである。しかも幸いなことに、取り扱う商品は、無限であるかのごとく存在するし、実際の活動の場にしてみても本来制限要素となるはずの国境というハードルはやりようによっては存外低い。その場において、当社はその時点での実力とやる気に応じた商品を取り上げて研究し、突き詰め、取引先に「ソリューション・プロバイディング」をすることでその存在価値を徐々に高め、同時に地域的に横展開していくことで自らの「できること」を広げていくのである。その際にぶつかる言語や文化、習慣の壁は、逆に我々の思い込みを正してくれる、人間の多様性と厚みを増してくれる糧と変わるのである。
とは言え、これらの積極的であるべき「試行錯誤」は実は我々を日々苛む。時に逃避に走らせる。それでも何とか再度それに向き合い、遂にそれを克服した暁には一段高い自分を見出させてくれる。その喜びが、この苦行とも呼べる行為から我々を遠ざけ切らないのであろう。そしてまた一段高い「試行錯誤」を新たに提示してくれる。その試みはエンドレスである。しかしそれは、逆手にとれば、エンドレスの成長と喜びとを我々にもたらしてくれる至宝なのである。

